『Unchanged Heart 』

その日──
ひと月ぶりの自分のベッドで眠っていたアルベルトを容赦なくたたき起こしたのは、
10回以上鳴ったところでいったん途切れ、ふたたびまた、威勢良く鳴り始めた電話のベルだった。


ベッドサイドボードの上からいろんなものを落としながらようやく受話器を探り当て、耳に押し付けると、
腹が立つほど呑気な・・・
そして微妙に呂律の乱れた上機嫌の声が、意識に流れ込んできた。

   ─ いやぁ これはおひさしゅう・・・誰だかわかるかい?
      わたしだよ 元気にしていたかね?いや、その声を聞けばだいたい察しはつくというものだが・・・
「・・・お察しの通り、・・・今この瞬間からアンタを呪い始めたところだ。いったい、・・・いま・・・何時だ?」
しきりに目を瞬かせ、起き抜けの意識のまま、何とか返事を続けようともがいていると、その様子を察してか否か、
相手は愉快そうな口調で続けた。

   ─ ああよせよせ、時計なんか見ると呪いを通り越して殺意を抱くことになるぞ
      サイボーグと言えど寝不足の心身にさらに負担をかけることは感心せんなぁ

お前なにをぬけぬけと、と今度こそ怒鳴ろうとしたが、乾いた喉が貼り付いて派手に咳き込んだ。
すると、相手は、そら言わんこっちゃない、だいじょうぶかね?と、いちおう声を落として気の毒そうな素振りを漂わせたが、

   ─ 寝付くまで子守唄でも歌ってやろうか?

寝起きの忍耐にも限界がある。
彼は、腹から搾り出すような低い声で唸った。
「グレート・ブリテン・・・・、いったい・・・何の用なんだ?」
頭痛までおきてきそうな予感を覚え、彼は固い右手を頭に押し付けながら、受話器にむかって囁くような声で言った。
「時差7時間を承知で喧嘩を売りにはるばる電話をかけてきたというのか?」
しかし、それでも相手はいっこうに怯む気配はなく・・・。
いたって陽気な調子で、いや、まぁそれがな、と一瞬口を濁して、言葉を続けた。

   ─ なんかこう、真昼間っから昔話なんかしたくなっちまってね隣にいない相手の声でも聞こうかと思って電話したまでだ、
      ははは・・・
「切るぞ。」
間髪いれず受話器にひと言告げて、耳から離そうとしたその瞬間だった。
   
   ─ じゃひとまず ハッピーバースデートゥーユ〜♪ おやすみ
歌うような口調の言葉を残して、プツ、と電話は向こうから切れた。

一瞬頭の中が空白になり言葉を失った。
が、次の瞬間我に返り、おい、グレート!と呼びかけたが、既に耳には空しい通話音が応えるばかりとなっていた。
アルベルトは、沈黙したまま受話器を見つめ、その目を、ゆっくりと壁際のカレンダーにうつした。
太く長い溜息がひとつ漏れた。
・・・・・・・なんてこった・・・ったく!
このひと月あまり続いた激務中、
自宅にいてさえ日付は自分の手帳のカレンダーでしか確認していなかったことを、認めざるを得なかった。
彼はのろのろとベッドから這い出ると、海と空を背景にディーゼルトラックが疾走している8月の暦を、ベリッと引き剥がした。
代わりに、初秋の高原を快走する鮮やかな赤いトラックの写真と、9月のロゴが刷られた日付の並びが現れた。
彼は、その中の19の数字を目に納め、口をへの字に曲げた。


ハッピーバースデー、トゥーユ〜♪・・・か
フン なにが 昔話だ
・・・・・・・お前とおなじ年寄り扱いするな


不満げにそう呟いて、受話器をフックにのろのろと戻すと、ふたたび、顔面を枕に押し付けてベッドに倒れこんだ。
「それに真昼間っから飲みたいだのなん・・だの・・・」
目の奥に浮かんだ飄然と喰えない笑顔を浮かべる男に向かって、既に電話を切った後だというのにブツブツと文句を続け、ふと。
彼はその言葉を、とぎらせた。
閉じていた目を開ける。
アルベルトは、ゆっくりとベッドの上に身を起こした。
何処か眠りの誘惑に引きずられていた意識が、急速に醒めていく。
ベッドサイドボードから床に落ちていた時計をいそいで掴んで文字盤を確かめる。

・・・・・・・まさか・・・
胸に湧いたある予感に、彼は寝癖で乱れた頭髪を掻きあげた。
それから、いま置いたばかりの受話器に手を伸ばし、日本への国際電話のナンバーを、プッシュしたのだった。


* * *


扉を開けて外に出ると、まだ日の高いこの時間でも、頬に触れる大気はひんやりと澄んで冷たかった。
9月に入るなりぐっと気温が下がったことに加え、今朝方まで降り続いていたらしい雨の名残りも、風に含まれているようだった。
階段の踊り場の軒越しに、雲の隙間から覗く青空が見えた。
それを一瞬眩しげに仰いでから、ブルゾンのポケットに両手を突っ込むと、彼は階段を下りていった。
休日のせいか、表通りには、ふだんより子供の姿が多く目立つ。
そんな華やいだ空気の中を歩いていたアルベルトは、中央広場に出ると、往来の向こうに視線を投げた。
アルベルトは、甲高い歓声の行き来する雨上がりの石畳をゆっくりと歩き出した。

   ─ やぁ、アルベルト!凄いタイミングだね、ちょうど今、君の事を皆で話していたところだったんだ。
      どうだい、元気にしているのかい?

街の中心部へと抜ける長い坂道を下ってゆきながら、彼は、数十分前の日本へかけた電話で、
受話器に出た明るいジョーの声を思い返していた。

   ─ ああ おかげさまでね 幸か不幸か、この処貧乏ヒマなしってところでなんとか暮らしているさ
   ─ そうか、仕事も順調ってところなんだね・・・、でも、君のことだから・・・っと、いけない、
      その前にまず・・・誕生日おめでとう、アルベルト、だったね。

不思議な偶然に導かれたような仲間の声便りに、弾むような口調の言葉を返したジョーは、あわてて恥かしそうに、
バースデーメッセージをひと言添えたのだった。
そして、そんな彼の向こうからは、フランソワーズがクスクスと笑う気配が伝わってきた。
博士の、ほうアルベルトからかね?と近づいてくる声に続いて、
大人のアイヤ、これは奇遇アルね、という感心したような言葉も聞こえ・・・
ギルモア亭での夕食宅を目の前に思い浮かべたアルベルトの胸に、しずかに広がった温かなものが、
ダンケ、というひと言を、彼の口から溢していた。
そうか、これからみんなテーブルに揃って・・・・と、独り言のように呟いたアルベルトは、躊躇いがちに胸中にあった疑問を、
ジョーに尋ねてみたのだった。

   ─ ジョー。つかぬ事を聞くが・・・・今、そっちは・・・昼じゃないよな?
   ─ え?ああ、時差かい。そうだよ。こっちは夜の7時ちょっと前だけど?
   ─ うむ・・・ それじゃもうひとつ。そこにな、グレートはいるか?
   ─ えっ、グレート・・・って、あ・・れ・・・っ、っていうことは、まだ君には彼からの連絡が・・・入ってないのかい?
      ドイツの君の処に行くからって日本を出て、もう昨日の朝そっちに着いているはずなんだけど?
   ─ やはり・・・。

頬に、微かな苦笑いを浮かべているアルベルトの前を、カンカン、という高いベルを鳴らしながら、路面電車が通り過ぎていった。
(それで『真昼間』からでも『飲みたくなった』と、いうわけか。)
電話で思わず漏らした溜息を、今度は肩で吐き出しながら、彼は、正面の空に聳える教会の尖塔を見あげた。
(ったく、こっちに居るならハナっから居場所を言やいいものを・・・もったいつけやがって!)
心うちで舌打ちを漏らしていると、目に沁みるような青空に、赤と白い風船が流れていった。
風に乗って、パレードのようなブラスの響きや、手回しオルガンの響きが運ばれてくる。
つい先ほどまで部屋で熟睡していた身には察知できなかったが、9月半ばの日曜にあたる今日、
街では秋の祭が行われているらしかった。
その影響で、いつもはしずかな裏通りにも、普段の休日以上の活気が漂っていた。
そんな華やいだ空気の中を歩いていたアルベルトは、中央広場に出ると、口をへの字に曲げて、往来の向こうに視線を投げた。
どこか中世の面影を残す古い石造りの建物の合間に、リボンやとりどりの花とパラソルに彩られたオープンカフェが並び、
休日の昼過ぎを思い思いに過ごす人々でさざめいている。
焼き菓子をほお張る子供、お喋りに夢中な少女達、上機嫌でジョッキを傾ける結構いい歳の男女のグループ。
まさかあの中に混ざってやしないだろうな、と、冗談のような軽い思い付きが頭を掠め、彼はカフェの前を通り抜けざま、
ちらりと雑踏を振り返った。
そして、密かに聴覚回路に繋がる回線越しに呼びかけた。
『グレート・・・、おい・・・グレート。聞こえてるか?いま何処にいる?』
だが、耳は電波の空しい雑音を拾うばかりで、彼が予想する返事を受信する様子はない。
そこで、今度は少し通信範囲を広げ、ゆっくり広場の中央へ移動して、応答を試みた。

『グレート・ブリテン・・・!お前の昔話に付き合いにきてやったんだ、この街の中にいるなら返事くらいしろ。』
発信状態は良好だった。
もしグレートがこの周辺の建物屋外、或いは屋内(たとえば、彼が滞在する宿内で潰れてるとか・・・)にいるとしても、
彼の脳内通信機能が異常を来たしていないかぎり、アルベルトの声はかなり明瞭に受信している筈だった。
しかし、・・・結果は同じく。
店舗や屋台の外にひしめく人波に目を凝らして見ても、あの僅かに猫背加減の上背の、飄然とした風情の姿が現れる様子はなかった。
やれやれ・・・、お前俺に会わなきゃならん事情があるんじゃなかったのか?
アルベルトは、うんざりしたように相手にそう呼びかけると、教会の石段にどさっと腰を下ろした。
気のせいか、先ほどよりさらに人出も多くなったようだった。
彼は、街の四方から集まり、何処へともなく散ってゆく人々の流れに、暫く目を注ぎ続けた。

     (なぁんだ、そんなバースデーコールを寄越してきていたんだ?はは、いかにも彼らしいね。)

アルベルトから、彼の休日の睡眠を破った電話の一件を聞くなり、安心したようにそう笑ったあと、
ふと思い出したように付け加えた言葉が、アルベルトの耳の底で返った。

     (ただ、・・・僕の感じた印象では、どうやら彼は、どうしても君の誕生日に、君に会う必要がある、
      ・・・つまり、君に会わなきゃならないと考えていたみたいなんだ・・・
      残念ながら、その理由や動機についてまでは、わからなかったんだけどね。)

何を思い立ったのかは知らないが、大人が、この忙しい時に店を空けるなんてどういうつもりネと息巻くにも構わず、
なぁにすぐ帰って来て倍以上コキ使われてやるさ、と軽く受け流し、飄々黙々と荷造りを始めたのだという。
・・・俺に会わなきゃいけない理由・・・?今日?

ジョーから聞かされた思いもよらぬ言葉を鸚鵡返しに口にして、アルベルトは首を捻っていた。
いくら仲間の誕生日を祝うにしろ、そのたった一日の為だけに、ドイツのこんな街くんだりまで来なきゃならない、
どんな理由があるっていうんだ?
アルベルトは、眠りからすっかり醒め切った頭を巡らせて、最近グレートに誕生日に返す予定の貸し借りでもしたかと考えたが、
もちろんそんな記憶は彼にはなかった。仕方なく、ヤツにはすまんが皆目検討が付かんな、と言うアルベルトに、ジョーは、そうか、と
すこし沈黙したあと、でも彼側にどんな事情があるにせよ・・・、とさばさばとした口調で続けた。

     (電話でそんな調子だったんじゃ、きっとまた君に連絡してくると思うよ。
      今度は最上の贈り物のひとつでも手にしてね・・・)

微笑を感じさせる声で、ジョーは最後に、そう言ったのだった。
・・・まったくな。できれば今すぐそうして貰えるとありがたいよ・・・
彼は、相手の出ない脳内通信機にむかって溜息交じりにそう溢した。