〜 されど、特別な日 〜


自宅に帰りついたのは、既に日付が変わる頃だった。
連日の超過勤務に綿のように疲れ切った身体を引きずりながらアパートに辿り着き、上着のポケットを探って鍵を取り出してドアを開けると
そのまま寝室に直行してベッドに倒れ込んだ。

「・・・疲れた・・・」

思わず口を突いて出た言葉に自嘲気味に唇を吊り上げる。
サイボーグである自分が言う言葉だろうか。
事実、仲間と共に事に当たっている最中は、何日連続で徹夜をしようが神経が焼き切れるかと思われるほどの緊張感の中に身を置こうが
これほど疲労を覚えることはない。

サイボーグである、ということをひた隠しにして日常を送るということはハインリヒが思う以上にこの身体に負荷を掛けているようだった。
「今更、だな」
あの忌まわしい組織から逃れて既に数年が経っている。
戦闘機械ではなく、人として生きることを選んだときからサイボーグ戦士たちの生き方は決まったのだ。
今更生き方を変えるつもりもない。
ハインリヒは息を吐いてベットに起き上がった。このまま眠ってしまうと服が皺になる。
シャワーは会社で使わせてもらったから、楽な服に着替えてこのまま寝てしまおうと部屋の明かりも点けずにクローゼットに視線を向けた。
ふと、ベッドサイドのチェストの上の淡い光源に目が留まる。

『ったく、あんたの部屋には時間が分かるような物が何にもねぇんだからな!』

苦々しげな声が耳に甦ってハインリヒはひっそりと苦笑した。
40年も眠り続けて自分が生きるべき時代に置いていかれた上、刻々と時間が過ぎていくのを知るのが嫌でハインリヒは暫く自室に時計を
置いていなかった。
見かねたジェットがこのデジタル式のカレンダー付き時計を贈ってくれたのはいつだっただろうか。
当初はジェットのおせっかいに渋い顔をしたハインリヒだったが、働き出すようになってからは日にちと時間が分からなければ話にならない。
勿論体内に組み込まれている時計を使えば分かることではあったが、人工的に組み込まれた機能を積極的に使う気にはなれなかった。
今ではありがたく使っている、と何かの拍子に電話で話したとき、ジェットの声は酷く嬉しそうだった。
改めて視線を向ければ、デジタルの表示は9月19日午前0時12分を示している。


9月19日。


外見こそ変わらないとはいえ、誕生日というものは毎年巡って来るものだ。
「もう、そんな頃だったか」
ここしばらく日付すら意識できないほどの激務をこなしていたことに改めて気付かされる。
事務所の所長が殆ど無理矢理3日間の休みを作ってくれたのは、そんな自分を見かねてなのかと思っていたが誕生日休暇を満喫しろとの
思し召しなのだろうか。
「・・・いきなり、そう言われてもなぁ」
誕生日を祝ってくれる恋人は、遥かな時の向こうで失ってしまった。
彼女の暖かな微笑みも、ほんのりと甘い手製の菓子も永遠に戻ることはない。
ハインリヒはかつて過ごした幸せな誕生日の記憶を辿りかけて、打ち消すように緩やかに首を振った。
誕生日に誰も居ない、などと、それこそ今更だ。
1年の内のたった1日。
1人きりなのは今日に始まったことではないし、これからも1人。
ハインリヒは時計から視線を外すと着ていた上着を椅子の背に放り投げた。
手早く着替えを終えてベッドに潜り込む。
誕生日もきっと眠っている間に過ぎてしまうだろう。それでいい。
眠ってしまえば、1人であることを気にしなくて済む。
ハインリヒは瞼を閉じた。
しかし眠ろうとした耳が微かな音を捉えて、ハインリヒは目を開けると再びベッドに起き上がった。


コツコツ。

・・・コツコツコツ。


ドンドン!


音は、次第に大きくなっていく。
どうやらドアを誰かがノックしているようだ。
「誰だ、こんな夜中に・・・」
放っておくと近所迷惑になりかねない。
ハインリヒは忌々しげに舌打ちをしてベッドを降りると玄関に向かった。
一言言ってやろうとして勢い良くドアを開けると、人懐こい笑みが目に飛び込んでくる。

「よぉ、ハインリヒ」

こんな時間にこんな所に居るはずのない男の姿にハインリヒは面食らった。

「ジェット・・・」
「悪いな、こんな夜中に。ちょいと急ぎの用があってな、飛んで来たんだ。・・・入っても、いいか?」
勿論、こんな夜中にここで立ち話をするわけにはいかない。ハインリヒはジェットを部屋の中に招き入れた。
リビングの明かりを灯してジェットにソファーを勧め、ケトルを火にかける。
「・・・で?急ぎの用ってのは?」
とりあえず、マグカップにコーヒーを淹れてやりながらハインリヒが訊ねるとジェットはニッと笑って持っていた箱をハインリヒの方に押しやった。
「お届けもの、さ。・・・持って来るのに気を使ったんだぜ?」
怪訝そうな顔をしながら2つのマグカップを手にしたハインリヒがジェットの隣りに腰を下ろした。
箱にかかったリボンを解き、そっと蓋を持ち上げると甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる。

「これは・・・」
お誕生日おめでとう、と書かれたメッセージカードが添えられた白い綺麗なケーキを戸惑ったように見つめるハインリヒをジェットが楽しげに見遣った。
「フランソワーズお手製のレアチーズケーキ。甘いものが苦手なあんたも、これは食べるだろう?」
ジェットの言葉に益々戸惑う。
ハインリヒには、仲間に自分の誕生日を知らせた記憶はなかった。
「・・・何故?」
視線を受けたジェットが気まずそうに人差し指でポリポリと自分の頬を掻いた。
「違ったのか?・・・俺、この間あんたが博士に頼んでる書類の中の生年月日を見ちまったんだ。
まぁ、年はでたらめでも日付は合ってると思ったんだけど・・・」
今の会社に勤める前に、ギルモアとイワンに頼んで身元証明の偽造書類を作成してもらった時だろう。
それを、ジェットに見られていたらしい。
そして、それを覚えていたジェットがわざわざフランソワーズのケーキを携えて日本からドイツまで飛んできたと言うのだ。
ハインリヒは込み上げる笑いを堪えることが出来ずにクックッと肩を震わせて笑い出した。
「ハインリヒ・・・?」
トン、と身体を凭せ掛けてきたハインリヒにジェットが驚いて声を上げた。
「・・・ダンケ。嬉しいよ」
心が暖かく満たされていくのを感じる。
現金なものだ、と思いながらもハインリヒは抱き寄せられたジェットの腕の中で心地良さに抗えずに瞳を閉じた。
思いがけなく素直に好意を受け取ってくれたハインリヒに驚いたジェットがハインリヒの顔を覗き込むと、
ハインリヒは唇に微かな笑みを浮かべたままスウスウと寝入ってしまっていた。



「ハインリヒ・・・?」
そっと声をかけても起きる気配はない。
「やれやれ、随分疲れてるんだな。・・・皆から、カードも預かって来てるってのに」
軽く息を吐いたジェットは仕方がないな、とハインリヒの身体を抱き上げた。
「あんたの誕生日が終わっちまう前には、起きてくれよな?」
囁いて頬に軽くキスを落とすと、ジェットはハインリヒの寝室に足を向けるのだった。




(END)



アルベルトへのメッセージ・・・「お誕生日おめでとうございます。また素敵な1年を重ねられますように!」