データ
子供の頃、家族や学校の友達が集まって皆で祝ってくれた日。 生クリームの甘い香り。吹き消したろうそくの煙の匂い。 そして愛しあう女が傍にいた頃には、ふたりで過ごした甘い夜。 ワインの甘みと、ろうそくの灯りに浮かぶ彼女の横顔。 大切だったその日は、 あの激しい雨の日、胸ポケットに所持していた身分証から 一体の実験体のひとつのデータとして組織に記録された。 そして新たなの誕生のデータ。 実験体として稼動を開始した日。 テストに合格し、完成した試験体として組織が認めた日。 これらは科学者たちによって祝われた。 そして男には、その新しい誕生のデータによって結び付けられた仲間たちが出来た。 彼らをデータの塊に変えた組織から、彼ら仲間たちと共に脱出して、いくつかの月日が過ぎた頃、 仲間の少女が言った。 「皆の、誕生日のお祝いがしたいの。」 聞いた瞬間、眩暈のような感覚を覚えた。 そんな日のことなど、思い出しもしないで日々を過ごしてきた。 人工的に作られた顔や身体は何も変わらないまま、心だけが人より早く 年老いてゆくことが苦しくて、無意識にその日を脳裏から追い払っていた。 また、自分が絶ってしまった愛する女の止まったままの時が心を縛り、 男をある一点に立ち止まらせてもいる。 「こんなつくりもので出来た身体で誕生日の祝いだって?」アメリカ人の少年が口を尖らせる。 「そんなの、オレは子供の頃から祝って貰ったことなんてないぜ。大きなお世話だ。」 生まれた時から生きるための闘いのような少年時代を送ってきた。 それが彼にそんな口を利かせているもかもしれない。 今自分たちにあるのは、サイボーグとしての、データとしての誕生日だけだ。 そんな風に男も思っていた。だからあえて答えはしなかった。 何人かの仲間のそんな気持ちを察したのだろう、 「だからこそ、」と少女は言った。仲間たちより遥かに大人びたような口調で。 「私たちは、本当の誕生日を祝わなければいけないと思うの。」 あの日、あの新しい誕生のデータによって結び付けられた仲間たち。 その彼らに、各々が心の中に閉ざしてきた生来の自分を取り戻すようにと、 人生の最も美しい季節を奪われたまだ初々しい少女が、自分たちと同じく重い運命を 背負わされているこの少女が、亜麻色の髪を乱して頬を高潮させ、全身で訴えていた。 「誕生日を、祝いましょう。」 「…そうだね、ありがとう。」栗色の髪の少年が静かに、ゆっくりと答えた。 彼は自分の本当の誕生日を知らない。母に捨てられた可哀相な子供。 そんな彼が、真っ先に、少女の真摯な願いに応えていた。 ああ、そうだ…そうかもしれない。それもいいのかもしれない。 男の胸に、懐かしいものが一気に溢れるようにこみ上げて来た。 あの日のろうそくの匂い。暖かい家族。 ワインの味と、傍らにいた美しい女。 データに過ぎなかったその日が、色彩と匂いを伴って蘇る。 今また得た「仲間たち」と共にその日を祝うことは、きっと悪くはないはずだ。 ……… 本格的に秋の到来した男の故郷。変わり栄えのしない、仕事だけの日常だった。 けれど、ここのところ郵便受けを覗くと、毎日のように誰かしらからのカードが届けられていた。 遠い東洋に身を寄せる仲間たちからは、真っ先にふざけた仕掛けのしてあるカードが届いた。 寄せ書きがしてある。 細い可愛らしい字で、あの日この日を祝うことを主張した少女の美しいフランス語。 伝言、としてロシアの赤ん坊のふっくらした似顔絵には、吹き出しがつけられていた。 隣には彼女の呼びかけに応えた純粋な少年の、端正な日本語の文字。 真ん中に、おおらかで心和む、漢字ばかりの祝い言葉。 そして少し遠慮がちにかかれた、老人からのメッセージ。 数日経ってアリゾナから、広大な風景を写し取ったカード、そこに太く伸びやかな男の優しい字。 ロンドンからはシェイクスピアの的確な引用で人生を皮肉りながらも、味のある落ちをつけた 役者からのカード。 アフリカからは、土地の芸術家の描いた土臭い絵に添えられたきちんとした挨拶。 そしてNYからは、あいつらしく一日遅れの電話。 彼ら皆が、自分たちのちょっとした近況を知らせてくれていた。 そして男の近況を、細やかに、彼らなりのやり方で気遣ってくれていた。 仲間たちの他にも、また「人間」として生活を始めてから友人となった髭面の美術評論家から、 いかにも彼らしく玄人好みの古典芸術をあしらったカードも届いた。 かつてピアノの門下生として同じ道を歩もうとしていた音楽家の友人からは、 公演先のザルツブルクからの、音符を記した祝福のカード。 今、男は生きている。かけがえのない存在となった人々と共に、またひとつ年を重ねて。 データだったその日は、降りかかった運命と必死で闘い続けながら生き抜いてきた日々を 確かに記録しながら、今また再び、祝福の日となっていた。 「誕生日おめでとう、アルベルト・ハインリヒ!」 |