ありがた迷惑 その日もいつもと同じように長距離勤務を終えた。 事務当直と言葉を交わし疲れた身体に鞭打って自分の車に戻る。 いや、身体は疲れなどしない。 ただ、同僚と同じようにくたびれた顔をしてみせているだけだ。 疲れているのは神経だ。 神経が疲れると生身の脳が眠りたがる。 戦闘時にはどんなに激しい戦いでもこんなに眠くなることはなかった。 たとえ眠くてもほんの少しの仮眠でまた動けた。 なのに、普通に生活して普通に仕事しているだけで脳は人並みに休息を要求してくる。 よっぽど平和ボケしてしまったか、あるいはこの機械人形は全く戦闘向きに作られているらしい。 あくびをかみ殺しながらポケットからキーを取り出していると彼よりもっとくたびれた同僚のヨハンが声をかける。 「眠そうだなあ。車に乗って帰れるか」 「大丈夫だ」 「お前帰って食うもんあるのか。うちに寄って何か食って帰れ」 とんでもない。 うっかりヨハンの家で眠ってしまってこの身体が人間と似ても似つかぬ事に気付かれたら大変だ。 「こんな朝っぱらから迷惑だろう。何か適当に食うから」 まだ心配そうなヨハンに手を振って見せてアルベルトは車に乗り込みそそくさと発進させる。 本当に眠い。 眠いからと言って手足がだるくなったと感じるのは気のせいにすぎない。 自分の身体が不調を訴えるはずがないのだ。 そう考えて車から降り、近くのスタンドで新聞を買う。 部屋にたどり着きどうにかこうにか鍵をかけると上着と一緒に新聞を放り出し、ベッドに身を投げた。 戦闘時ならいざ知らず、床に倒れこんでしまうということはどうにもできない性分のようだ。 寒いかな、と思いながら身体の上に毛布を引き上げることも出来ずに眠りにつく。 真綿に包まれるような安堵感に残り少ない生身の部分が寛いでいる。 寛ぎすぎて目が覚めるともう夜になっていた。 起き上がってしばらくぼんやりしたあとようやく動き出す。 冷蔵庫を見ると見事に何もなく、仕方ないのでコーヒーでも飲もうと湯を沸かす。 床に放り出したままの上着はすっかり皺だらけ。 ぶら下げておけば皺がのびるだろうとコート掛けにかける。 同じく落ちていた新聞を取り上げ窓の外の街灯の光で読む。 しゅんしゅんと湯が沸く直前に訪問客があった。 「ハインリヒさん、いらっしゃるんならはやく出てきてくださいよ」 ドアを開けるとお怒りのご様子の家主夫人が立っていた。 「お隣に今日の朝に戻るって仰ってたんでしょ。だから私は何回も来ているんですよ」 見ると家主夫人は両手にさまざまな荷物をぶら下げていた。 「いったいどこで道草食っていらしたんだか。これだから男の人の一人暮らしなんて」 とぶつぶつ続く文句はもはや意味を成していなかった。適当にあしらって追い返してしまおう。 「何か御用ですか」 「用があるから来てるんですよ」 家主夫人は眉と目尻をつりあげて両手の荷物を突き出してきた。 「何です、これ」 「何なのかはこっちが知りたいですよ、 まったく昨日あたりから次々ご不在のハインリヒさんのお宅に荷物が届くんですからね。 全部うちに預かってくれって来るじゃないですか」 「それは、どうも」 押し付けられた荷物を両手一杯に受け取ってとりあえず曖昧に返事をしておく。 「あなた留守がちなんだから荷物は会社に送ってもらうことにしたらどうなんです」 それももっともかな、と頷いておく。 「それにしても一体何なんですか。怪しいものを個人輸入してるんじゃないでしょうね」 「まさか」 唇の端だけ上げてニヤリとすると家主夫人は憤慨したように鼻息を鳴らして自分の住居へと上がっていった。 もう世間は静粛にしなければならない時間だ。 嵐のような訪問客を見送って両手からこぼれそうな荷物を確認することにした。 世界の各国から送られた、様々な筆跡の宛名書き。 一体どういう風の吹き回しだとようやく灯りをつけて開けてみる。 いろんな品物に添えられたカードが一体どういう風の吹き回しだったのかを悟らせてくれる。 「あいつら・・・」 迷惑なことを、と思いながらカード類を取り出して机の上に並べ、荷物の中にあった菓子を口に放り込む。 妹とも思っている紅一点のお手製らしい。 さっきから沸騰して大変なことになっているケトルをおろし、コーヒーを入れ、その菓子で空腹を満たすことにした。 結局寝過ごして買い物に行き損ねてしまったのだ。 すっかり暗くなった外の色を溶かした窓ガラスに自分の姿が映る。 仏頂面をしていると思っていた自分の口元が緩んでいるのに気付いて笑いがこみ上げる。 「ったく、迷惑なんだよ」 そう言いながら時々自分を普通の人間だと錯覚することがあるのは彼らの存在のおかげかもしれない、と考えた。 机の上の品物を見ている間にやっと目が覚めてきた。 そろそろ電話がかかってくるかもしれない。 いや、こちらからかけるべきか。 この日を穏やかに迎えられるようになっているのを驚いている自分がいる。 きっと、君はそんな僕を見て喜んでくれるだろう。
|